従業員が身に着ける名札。駅員やバス運転手、コンビニや薬局など、さまざまな業種で見られますが、近年、悪用されるケースが目立っています。悪質な利用者がスマートフォンなどで無断撮影しSNSに投稿するといった事例です。こうした行為はカスタマーハラスメント(カスハラ)と呼ばれ、国が対策に動き出しています。企業側は従業員の安全を守るために、どのような対策が必要なのか。カスハラ問題に詳しい弁護士に話を聞きました。
「クレーム対応をしている際に、至近距離で顔写真を撮られた経験がある」(鉄道関係者)
「クレーム対応中に名札を撮られSNSに投稿された」(航空関係者)
2021年に発表された悪質クレームに関するアンケート結果(交運労協が実施)。交通運輸や観光サービス業の従事者から約2万件の回答を得たところ、直近2年以内で利用客から迷惑行為を受けた割合は46.6%に上りました。中でも、鉄道・トラック・バス業界で多かった被害が「SNS・インターネット上での誹謗・中傷」です。
名札を着用しなければ罰則も
名札がSNS上にさらされると、個人の特定も容易になり、人権やプライバシーの侵害につながります。上記のアンケートには「社員である前に、1人の人間として個人の尊厳が守られていないと感じる」(鉄道関係者)、「盗撮されても泣き寝入りの状態」(航空関係者)――など、現場の切実な声が寄せられています。
一方で、バスやタクシーなど運送に関わる業種では、道路運送法をもとに定められた運輸規則で、車内に運転手や乗務員の氏名を利用客に見やすいように掲示しなければならない(運輸規則第42条第1項)と定められており、違反した場合の罰則規定も存在します。
バス従事者からは「実名ではなくイニシャル表記も認めてほしい」といった声があがっています。事態を重く見る運送業者は、従業員の安全を守るため、国に働きかけを続けています。
鉄道やバスの労働組合から成る私鉄総連の志摩卓哉・交通政策局長は「車内名札の掲示は、大前提として乗客の安全を守る責任や仕事に対する誇りを表すものですが、残念ながら無断撮影など悪用されるケースが後を絶ちません。運転手側も守られるべき部分は守られるように、法的措置も含めた対策を国に常々要請しています」と話しています。
名札の着用は拒否できる?
一方、飲食店や店舗などでは昨今、悪用の危険性を考慮し、名札着用の職務規則を見直すケースも出てきています。この問題に詳しいベリーベスト法律事務所の海嶋文章弁護士に話を聞いたところ。
――現在、カスタマーハラスメントに関する相談は増えていますか
「いま増えているという感触を持っています。例えば『従業員から被害申告があった』と企業から相談が寄せられる場合もあれば、勤務先には被害申告しづらく個人として相談に来る方も増えています」
――業種によってカスハラ被害の多さは異なるのでしょうか
「顧客との距離感の問題が大きいのではないでしょうか。飲食店や薬局などは従業員と顧客の距離が近い。薬局では、処方された薬が合わないということで薬剤師の名札を見て、名指しでクレームを入れられるといったケースも増えています」
「薬剤師は薬機法で名札の着用が義務付けられています。バス運転手などの名札着用を定めた運輸規則も、同様の位置づけです」
消費者の安心・安全を守るために、法律で名札着用が義務付けられている場合は、名札を外すことは非常にハードルが高いです。名札着用の義務を前提としつつ、いかに従業員の安全を守れるかに知恵を絞る必要がありそうです。
一方で、法律で義務付けられているわけではない就業規則の場合はどうなのか。
――就業規則で名札着用が義務付けられている場合、着用を拒否することはできるのでしょうか
「原則として着用しなければならない、という位置づけになります。ただ、どうしても例外的な場合が発生します」
「前提として押さえなければならないのは、就業規則はあくまで法律ではない、ということです。法律的に着けなくてもいい、あるいは、むしろ外すべきなのではないかという判断がされるケースであれば、法律の方が優先し、名札の着用を拒否することが可能と考えられるケースもあると考えます」
――例外とはどのような場合でしょうか
「従業員がカスタマーハラスメントの被害に遭った、あるいは被害を受けそうだと企業に申告した場合、例外的に名札を外すという考えができるのではないでしょうか」
名札着用は時代に見合うのか
一方で、被害が実際に発生した段階で名札の是非を判断するのは、手遅れとなる場合もあります。カスハラを未然に防止する観点から有効な手立てはあるのだろうか。海嶋弁護士はこう説明しています。
「昨今、SNSで個人名をさらされて被害が発生するケースが一般的に認知されてきています。具体的な事件は発生していないが、危険性が認められるということで、名札の着用を拒否できる場合もあるでしょうし、現に会社が就業規則を変えたケースも出てきています」
海嶋弁護士によると、飲食店で名札を着用しない運用に変えた事例があるほか、大企業では、社章をオフィス以外では外すという運用に変更したケースもあるといいます。
「時代にそぐわないと考える場合や、社会的にデメリットのほうが大きいと考える場合であれば、いっそのこと、従業員に着用させなくてもいいのではないかと、相談に来た方にお伝えすることもあります」(海嶋弁護士)
カスハラ対策しない企業への賠償請求を認めたケースも
カスハラが広く認知されてきている中、企業側には、従業員の安全をいかにして守るか、きめ細やかな対策が求められる段階に来ています。
過去には、病院内で看護師が患者から暴言や暴行を受け、裁判で、看護師に対する病院側の責任の有無が争われたことがあります。事件の発端となった患者のナースコールについて、病院側が看護師1人で対応させていたことについて「他の看護師が応援に駆け付けるように周知徹底すべきであった」として、看護師の損害賠償請求が認められたケースもあります。
海嶋弁護士は「カスタマーハラスメントは従業員個人で対応するのではなく、会社として対策を取っていくことが大事。まずはそこからスタートすることが最善の道だと考えます」と話しました。